「虐待」による尊い命を救う手立てはないものか

時事ニュース
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この数年でしょうか。
それとも昔からこの手の事象は繰り返されていて、ただ気にならなかっただけなのか定かでないが、私は、子どもが生まれてから、この手のニュースが気になって仕方がない

なぜ我が子を死に至らせるまで、執拗に虐待できるのか

自分では止められないものなのか。

虐待のニュースを見たいわけではないのに、子どもを育てる1人の親として、他人の子どもとはいえ、虐待により殺されてしまうことを止められなかった1人の大人として、知っておく必要を感じ、見ている。

そして、必ず毎度、腹立たしさと深い恐怖を感じる。
いつも同じ。今回も。

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千葉県野田市で10歳の女の子が虐待により亡くなるという、痛ましい事件

虐待事案は、0歳から小学生に上がる前までの子どもに多いようだ。

今回は10歳の小学4~5年生。
ただただショッキング。
亡くなられた女の子には心よりご冥福をお祈りする。

虐待をした、父親。
虐待を止められなかった、母親。

女の子のSOSをしっかりと受け止めなかった、学校や児相。
女の子のSOSを父親に渡してしまった、学校。

それぞれ女の子に関わりを持ち、対応が不十分であった大人たちによって、1人の女の子の命が絶たれた事実は覆しようがない。

なぜ事件は繰り返されるのか

私は、ネットユーザーやマスコミなどが言われているように、学校や児相の対応が不十分であったとの気持ちはある。

しかし、だからと言って、学校の先生や児相の職員のことをよくも知らないのに、まるで犯罪者のように糾弾するこの社会で正解なのか、とも考える。

上記の学校の校長先生や担任の先生の対応は確かに女の子にとって極めて不適切だったと思うが、その部分のみを切り取ったような、報道の仕方、誹謗中傷はあんまりではないか。

確かに、1人亡くなった事実は消えないが、彼らは、それぞれの立場の中でできる限りの対応をしてきたと信じたい。

女の子の相談に真摯に乗っていたからこそ、女の子からのSOSを受けることができたのも事実だろう。

もっと根本的な対応が必要なのかもしれない。

過去はどうだったか

そもそも、昭和の時代は、自宅には親だけでなく祖父母が一緒に又は近くに住み、1つの大家族として、複数の大人が子どもを育てていた。

しかし、核家族化の進展により、親と子どもだけが住むコンパクトな家となり、近所付き合いもなく、外で遊ぶこともなく、常に狭い世界の中で生きていかなければならない人が増えた。

このような状況が子どもに虐待に向かわせている一因ではないか。

最近は言葉になって表されはじめ、とても分かりやすくなった、パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラなど、挙げるときりがあいハラスメント。

社会生活の中で多くのハラスメントによって、働き盛りの親は心身共に疲労困憊してしまっている。

日本の中で、様々な社会不安や生活事情が、立場の弱い子どもに跳ね返ってきている。

このように考える。

児童虐待防止のため、この先、どうすればよいのか

では、どうすればよいのか。

報道等の誘導があるのか、誘導があったから皆がそう考えるからか、それとも、そもそも皆がそう考えるのが自然なのか。

何が正解かは分からないが、社会的課題や社会不安が生じた際、必ず糾弾する矛先は国や地方などの行政機関に向かう。
対公務員(行政)ですね。

これは本当に正解なのか?
そのような発言をしている人は、選挙には行っているか。

ただただ、社会的課題をあおり、顔の見えないところで憂さを晴らして、攻め立てているだけではないか。

国政や地方行政に選挙で選ばれた政治家が国会において、法律を作っている。
その法律に基づいて、皆が批判する公務員は働いている。

つまり、公務員を批判する前に、国民がきちんと日本という国をどう考えるか、どのようにしたいか、真剣に考えなければどうにもならない。

政治には関心を示さないくせに、何か問題が発生すれば公務員を批判する。

そんな道理の通らないはずである。

きっと、学校の先生方も児童相談所の職員の方も、少ない人員と予算の中で、精一杯できる限りのご努力をされている同じ人間。

責めることで自分の憂さを晴らすようなことは慎むべきではないか。
その責めにより、新たな被害者が出る前に。

今回の千葉県野田市の事件でも母親がなぜ通報しなかったのかと強く批判されているが、私は、この母親は、どうすることも自分が何をすべきかさえも思いつかない程、病んでいたのではないかと想像している。

そんな弱ってしまった人をつかまえて、もっとしっかりすべきであった、と外野が糾弾しても何の解決にもならない。

私は、隣近所に住んでいる人たちから早く通報されていれば食い止めれたのではないかと思う。
本当に近所は気付いていなかったのかとさえ思う。
狭い家族の中で助けを求められない程病んでいるのに、近所の人は本当に気付くことができなかったのか。
悔しい限りだ。

我が家もだが、子どものいる家庭は隣近所との付き合いの重要性をもっと認識すべきではないか。

何かあればお互い助け合えるコミュニティを作ってさえいれば、もしかしたらお母さんは少しでも相談でき、違う展開もあり得たかもしれない。

隣近所の方もSOSの信号をキャッチできたかもしれない。

一番弱者である子どもが虐待やいじめなどという、人格を否定される行為により命を失うことのない世の中になることを切に願っている。

今回の事件が、辛くて、悔しくて、長文となり、失礼しました。</p>

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