中学のいじめに関する「道徳教育」|これで良いのか

中学生の勉強方法
スポンサーリンク

中学校の先生方におかれては、日々の教育でご苦労も多いことと思う。

しかし、最近我が家の子どもから見聞きする中学校の先生の様子は、理解を超えるものが多い。

 

たまたま、特定の中学校の特定の先生の話しであり、私が他の学校や先生について広い視野を持っている訳ではない。

また、中学生活全体を通して批判したい訳でもない。

結果的に批判的な記事となってしまうが、そういった記事を見てご不快に思われる場合は、この時点で離脱いただければと思う。

 

中学生の道徳の授業で習うべきは人としての多様性を理解することなのでは

 

中学生は人生で一番多感な時期である。
日々沢山の悩みを抱きながら、一歩一歩大人に近づくために頑張っている。

そんな中で起きた出来事について触れていきたい。

大した話ではないのかもしれないが、少なくても子どもにとっては衝撃的な出来事であったようで、親に言うほどの事件だったのだ。

それを聞いた私(親)も唖然とした。

スポンサーリンク

「いじめ」について考える道徳の授業

「いじめ」が何故、どのようにして起こるのか、何が原因なのか、などをグループで考える授業。

よくある授業風景だと思う。

我が子はグループでの議論が好きで、よく発言する方だ。

そんな中、「どうしていじめを続けてしまうのか」とのテーマでの話し合いの時である。

我が子の主張

グループでの協議は基本的に自由に発言をして良くて、できる限り幅広い意見を聞くため、否定したり批判したりしないものである。

そんな中、我が子は、何らかの本を読んだ記憶から、

「いじめをしていると、段々といじめることが快感に思えてくるから、止められなくなる。」

との発言をしたそうだ。

グループ内の生徒の反応は凍りついたようだ。

グループ内の反応

凍りついたグループ員が取った行動は、まずは否定。

「それは、ちょっと違うのではないか。」

「言い過ぎだろう。」

などなど。

確かに我が子の発言は、若干の違和感を感じるものであったとは思う。

感性の問題もあるし、思春期の子どもたちが”快感”という言葉に強い拒否反応が出るのも当然だと思う。

グループ内の反応を見た我が子の対応

若干、否定されることは想定していたのかもしれない。

それでも、自分は何かの本でそのような記述を見ていたものだから、間違っていないと思い、その意見を押し通した。

グループ内の議論の一つの意見として記録することに成功した。

各グループの発表前の先生の反応

そして、グループで話し合った結果を発表する前に、まとめた用紙を見て先生が言った言葉が許せなかった。

我が子の発言を取りまとめた用紙を見た先生の一言

それは、

「本当にそれを発表していいの?」

「他の班と全然違う答えになっているよ?」

と言うものだった。

先生の発言を聞いた我が子の感情

先生の発言を受けて、我が子は内心相当怒ったそうだ。

他の班と同じ内容ならグループで議論する必要もないし、道徳の授業として取り扱う必要もないと。

でも、先生に反論するのもどうかと思い特には黙っていたそうだ。

 

と、このようなことが起こったそうだ。

親として思うこと

色々と思うところがあるので書いていく。

子どもに対して思うところ

まずもって、あなたは間違っていない。

間違っていないどころか、授業の本質をつかんでいると言える。

道徳の授業は、自分が、これまでの人生経験などから得られた知識や経験を武器に、自由に思ったことを述べる場である。

それが仮に間違っているのであれば、友人たちの意見を紳士に受け入れれば良い。

間違っていないと思うのであれば、存分に議論をしたら良い。

まず、自分の意見をきちんとグループ員に伝えたところが素晴らしかった。

次に、グループ員からの批判や否定に耐え、反論を試みたところが素晴らしかった。

結果、取りまとめの用紙にも一つの意見として掲載することができた。

何も恥ずべきところは見当たらない。

仮にグループ員との議論の末に、意見を取り下げる結果となっていたとしても、それはそれで構わない。

そういった、自分の考えと周りの考えを冷静に交わらせながら、道徳心を育てていくのだから。

故に、あなたは間違っていない。

先生に対して思うところ

今回の件に関して言うと、先生は間違った対応をしたと言わざるを得ない。

仮に授業の目的や成果とかけ離れていた意見だったとしても、グループ内で出た意見を頭ごなしで否定することは、人格を否定するものであり、道徳心に欠けるものである。

先生は「いじめ」という重要な課題を与えながら、何を学ばせたかったのだろうか。

違いを認めることから逃げることは、いじめに繋がるのではないのか。

他の班の取りまとめ用紙と内容が異なると何か問題があるのか。

おそらく先生の中には模範回答があったのだとは思う。

しかし、その回答とズレた答えがでることが、本当に悪なのだろうか。

数学をしているのではない。理科をしているのではない。

道徳は答えを縛るような授業ではないはず。

先生のその授業のやり方では、道徳心は育たないと心底思う。

最後に

言いたいことだけ書きました。

 

それほど重たい話でも、面白い話でもないのに、長々とグチグチと書いてしまって申し訳ないです。

世間では大したことはなくても、我が子にとっては衝撃的な瞬間であったので、思うままに書いた。

 

少しズレたところのある我が子であるが、幼少期より本をたくさん読ませていることから、幅広い知識を身につけた中学生であると親としては誇りに思っているところである。

今回の件だけで、今後の人生に何らかの傷が付くということはないと信じているが、人それぞれ思うところや感じるところは異なると思うので、自分を信じてさらに精進して欲しい。

 

長文、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました